日本武尊伝説

日本武尊の足跡を追いかける

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日本武尊を知る

 
  ヤマトタケルノミコトは『古事記』では「倭建命」『日本書紀』では「日本武尊」と表記し、日本の古代史上の英雄と言われていますが伝説上の人物で実在していないとするのが通説です。
 日本武尊(以降『日本書紀』の表記)は第十二代景行天皇の皇子で、幼いころから猛々しい性格でした。このころ大和朝廷は日本各地のまつろわぬ者たちを征伐し全国を統一しようとしていました。当時の天皇の宮は大和にありそこが政治の中心地です。大和から離れた九州や関東・東北地方はたびたび反抗し朝廷の命に従わないことがありました。ある時九州の熊襲が騒いでいるとわかり、天皇は皇子の小碓皇子(おうすのみこ:後の日本武尊)に征伐を命じました。小碓命は熊襲の首長が館の新築祝いで酒宴を催しているところに女装して潜入し誅殺しました。この時熊襲の首長から大和の勇者として「やまとたける」と名乗ってほしいと言われました。この後日本武尊となりました。
 
 数年後、今度は関東・東北の蝦夷が騒いでいるため、天皇は再び日本武尊を派遣しました。日本武尊が駿河に入ると国の長に騙され、狩りに行った野に火をつけられ殺されそうになりました。すると脇にさしていた剣が草を刈り尊を助けました。これよりこの剣を草薙剣とよぶようになりました。尊が相模から上総に船で渡ろうとしたとき急に海が荒れてしまったので、妃の弟橘媛が海神の怒りを鎮めるため海に身を投じました。これにより船は対岸に着き、無事上陸しました。上総では蝦夷らと戦い、さらに船で北に進み陸奥の蝦夷を征伐しました。陸奥の谷間を通って南下し甲斐の酒折宮に入りました。この後信濃の山中を通り尾張に戻ってきました。

 
  尾張では宮簀媛の館でしばし平和な時を過ごしましたが、伊吹山の神が暴れていると聞き、草薙剣を館に置いたまま征伐に出かけました。伊吹山の神は大暴れし、日本武尊は病となってしまいました。下山して大和を目指しましたが、能褒野で亡くなり、白鳥となって空高く飛んでいきました。

 
 
 

 
「ヤマトタケルノミコト」の名はもとは「オウス(「ウス」は臼の意味)」、また「ヤマトオグナ(オグナは男性)」で、征西ののちに「ヤマトタケル」と呼ばれるようになりました。『古事記』『日本書紀』とも読み方は同じですが漢字表記が異なっています。
 

日本武尊や倭建命は「ヤマトタケルノミコト」と読んだのか

 この疑問についても諸説あります。それは、これまで日本武尊について書かれた書物の中には「ヤマトタケ」と読みを書いているものもあるからです。
 
 一般的に「日本武尊」と4文字で表記していますが、名前+「尊」なので「日本武」+「尊」です。「尊」は天皇の後継者とした皇子につけられます。景行天皇の皇子小碓が東征の将軍と決まり、景行天皇が小碓を天皇の後継者とすることを約束したため、小碓尊や日本武尊のように「尊」をつけています。
 
「建」や「武」を正しくはどう発音していたかということです。『古事記』が倭建命と表記し『日本書紀』は日本武尊で「建」や「武」の字はともに「たける」と読むことにしています。『日本書紀』には熊襲の川上梟帥の名を「たける」と読むようにしていて「川上建」や「川上武」とは書いていません。これだけを見れば「たける」と読む字には別の字があてられています。
 
「武」は「たけし」とも読みます。「日本武」は「やまとたけし」とか「やまとたけ」になります。「建」は「たけし」とは読めません。「たけ」です。「日本武尊」「倭建命」の両方に都合の良い読み方は「やまとたけのみこと」です。
 東征の従者に大伴武日や吉備武彦がいます。名は「武日」「武彦」と二文字で書いて「たけひ」「たけひこ」と読みます。日本武尊の名を分解すると「日本」(これは『日本書紀』が外国を意識して書かれたことを考慮すれば国名の「日本」+歴史書の「書紀」ですから、同様に「日本武尊」は「日の本」という国名+「武」+「尊」です。つまり、名は「武」一文字だけなのです。「武」は勇猛果敢な人物に付けられ「勇者」を意味します。熊襲建(熊襲の勇者)、出雲建(出雲の勇者)も地方の勇者でしたが、もっと大きな存在であることを一文字で表すために『古事記』で「建」と表記したのを『日本書紀』では「武」としたと考えます。
 あまり読み方にはこだわらず「武日」「武彦」のように2文字以上の名の場合は「武」を「たけ」と読み、一文字名なら「たける」と読むと了解しているのかもしれません。この考えをもとにすると、稚武彦(わかたけひこ)王や若建吉備津彦(わかたけぎびつひこ)と読むことになります。
 

国名(国号)「日本」

 余談ですが、国名の「日本」は飛鳥時代ごろは「やまと」と読んでいたのではないのでしょうか。なぜ今は「にほん」と読むのですか。なぜ「にっぽん」と読むのですか?
 
『日本書紀』は「にほんしょき」で「やまとしょき」や「にっぽんしょき」とは読みません。「日本」は「にほん」と読むのです。「日本語」も「にほんご」で「日本橋」も「にほんばし」です。だから国名の読みは「にほん」が正しいと思われます。しかし、日本銀行券(お金)やJAXAの宇宙ロケットには「NIPPON」と書かれ、バレーボールやサッカーなど国際大会でも「がんばれにっぽん」と応援しています。学校では「にっぽん」が正しいと教えているとも聞いています。だから「日本」は「にっぽん」と読むのが正しい。この時点で「やまと」と読むことはないようです。では、本当は「にほん」と「にっぽん」どちらの読みが正しいのでしょうか? 
 その答えは「どちらも正しい」です。正確には、昭和9年に文部省が「にっぽん」と呼称を統一するように決議しましたが、政府がこれを採択しませんでした。2009年に政府はこれらの読み方はどちらも広く通用しているためどちらかに統一する必要はないとの閣議決定を出しました。つまり法律上も読みは統一せず、どちらも使用してよいということです。ただ、NHKのホームページには「正式な国号として使う場合は『にっぽん』その他の場合は『にほん』」と説明しています。
 
 もともと我が国は「漢委奴国王」と金印に彫られているように「倭国(わこく)」と呼ばれていました。(*「委」が「倭」と解釈したことに疑問はあります。これは「倭国」ではなく「伊(委)都国」を意味するという説もあるからです。)
 後に我が国は大和朝廷によって統一され「倭」「大和」はともに「やまと」と読みました。飛鳥時代後期には「日出づる処」「日(ひ)の本(もと)」の意味から「日本」と表記するようになり、読みはそれまでと同じように「やまと」と読んでいました。飛鳥時代の我が国の名は「やまと」だったのです。これが表記通りの「ひのもと」と訓読みするようになり、奈良時代になると「にほん」と音読みするようになりました。これを「にちほん」と読んでいたのが「にっぽん」に変化したという説があります。
 また、中国語の読みが影響しているという説もあります。奈良時代に唐の人たちが「日」を「ニエット」「本」を「プァン」(カタカナで書いた場合の表記)と発音していたので、奈良時代の人たちがそれを真似て「ニエッ(ト)プァン」と発音していたのが「ニッポン」と変化したと言われています。これはテレビ番組の中でも紹介されていました。他にJAPANやJAPONが影響しているとする説もあるようです。
 
 日本武尊を「にっぽんたけのみこと」と読むことはありません。
 


 

 やまとたけるのみことの漢字表記

 
『先代旧事本紀』
 
小碓王(おうすのみこ)
↓
日本童男(やまとおぐな)
↓
日本武皇子(やまとたけるのみこ)
 
『日本書紀』
小碓尊(おうすのみこと)
↓
日本童男(やまとおぐな)
↓
日本武尊(やまとたけるのみこと)
「みこと」は「尊」と表記していますが、天皇の後継者を意味します。
 
 
『古事記』

小碓命(おうすのみこと)
↓
倭男具那命(やまとおぐなのみこと)
↓
倭建命(やまとたけるのみこと)
 

『尾張国熱田太神縁起(熱田神宮縁起)』

小碓尊(おうすのみこと)
↓
日本武尊(やまとたけるのみこと)
 
 
他の書物
倭武命 『出雲国風土記』『日本三代実録』
倭武尊 『古語拾遺』          
倭建尊 『新撰姓氏録』         
日本武命『尾張国風土記』       
 

倭武天皇『常陸国風土記』

 
祭神名として次のように表記している神社もあります
大和建  小碓尊  日本童男(やまとおぐな)
 
石碑に掘られた文字

倭武天皇(氷上姉子神社元宮 宮簀媛館跡碑)

真ん中 宮簀媛の文字の上に「倭武天皇皇妃」と彫られています
 
倭武天皇(寝覚の里 名古屋市緑区大高)
2行目上 「倭武天皇」と彫られています
 

 
このサイトでは『日本書紀』の表記に統一し、日本武尊(やまとたけるのみこと)としています。:
 

  なぜ『日本書紀』を重視したか


 書籍『ヤマトタケル』(産経新聞社 2017年刊) は『古事記』をもとにして書かれています。そのわけは「父との確執が書かれているところに真実味がある」と解釈しているからです。(本文参考)
 しかし、『古事記』は物語性が強いと言われています。それは現実味が薄れているような印象があるともとれます。『日本書紀』は多くの出来事が出来事が起きた順(編年体)に、より具体的に書かれており、別伝承(異伝)も取り上げることで『古事記』以上に正確に書こうと努力したと感じます。(実際は、どちらが出来事を正しく伝えている歴史書と言えるかについて諸説あります。)
 

 
ヤマトタケルは「日本武尊」(読み:やまとたけるのみこと)としました。

 

 

 

一般的に知られている日本武尊は・・・


・古代大和の英雄     
・伝説-実在の人物ではない
・何人もの英雄の総称   
        

教科書に載っている「ヤマトタケル」は・・・


・複数の人物の事業            
・九州でクマソ、東日本でエミシをたおした。
・苦労しながら征服した。         
・都へ帰る途中病気でなくなった      
・大きな白鳥に生まれ変わって飛んでいった。
   *東京書籍 小学校6年生社会科教科書より
    
 
 
 日本武尊がいつ生まれ、何歳の時に征西や東征に行ったのかは実ははっきりしません。これが日本武尊は実在しなかった伝説上の人物としている理由の一つでもあります。日本武尊だけではありません。仁徳天皇あるいは継体天皇までの天皇は創作とも言われています。
 『日本書紀』は編年体(出来事順)で書かれているため、出来事のつながりは分かります。しかし、天皇の在位年がとても長いことも分かります。例えば、初代神武天皇は74年間、第5代考昭天皇は83年間、第6代孝安天皇は102年間、第10代崇神天皇は68年間、第11代垂仁天皇は99年間と長くなっています。当然これに合わせて年齢もかなり長寿となっています。そのため、西暦と合わせることは意味のないことになります。これは、神武天皇元年を紀元前660年として数値を合わせるために、古代の天皇の年齢を異常に長くせざるを得なかったためです。
 
 日本武尊について『日本書紀』の記述をもとにして年齢を決めようとしましたが、矛盾があって決められません。
 1 日本武尊は景行天皇43年に30歳で亡くなったとしていますから、生年は景行天皇14年となります。(生まれた年を1歳としています。)
 2 日本武尊が征西に出発したときの年齢は16歳ですから、生年は景行天皇12年となります。
 3 景行天皇2年に妃の播磨稲日太郎姫が二人の男子(大碓・小碓)を生んでいますからこの年を誕生年とすると、日本武尊が亡くなった景行天皇43年の年齢は42歳だったことになります。
 4 愛知県の猿投神社の社伝に、大碓命が猿投山で亡くなった年を景行天皇52年のこととし、大碓命は42歳だったとしています。日本武尊は大碓命と双子ですから誕生した年は同じはずです。すると、大碓命と小碓尊が生まれた年は景行天皇11年となり、日本武尊は33歳で亡くなったことになります。
 
 以上のことから、日本武尊の誕生年と年齢を決めることができません。また、景行天皇43年に亡くなったとするのも間違いかもしれないと思えてきます。それは、東征で蝦夷征伐に奥州まで遠征しているのに、交通用具は船と徒歩です。『日本書紀』にあるような短期間で行えることではないように思われます。このようなことも日本武尊の存在比定説あるいは複数説のもとになっています。
 当時の天皇は1年に2回年を取ったとも言われています。これでは天皇在位年、古代史上の出来事と西暦年を一対一対応させるのは困難なことです。天皇が長寿であったことは天皇は神であるからであり、崇拝する対象です。普通の人間のように生きていたと見てはいけないのでしょう。
 
 

日本武尊は第14代仲哀天皇の父です。もし日本武尊の存在が否定されるならば仲哀天皇の存在も否定されてしまいます。すると、その後の応神天皇や仁徳天皇と続く天皇系図が全て否定されてしまいます。

 
  全国に散在する日本武尊を伝える伝承地(主として神社・史跡)を実際に訪ね、その伝承内容を調べてみました。
 

<知りたかったことは>
 
日本武尊が生まれたのはどこか。
存在したことを裏付ける史跡(神社等)はあるのか。
滞在地・通過地とされるところはどこか。
どこでだれと戦ったのか。
白鳥伝説とは何か。 

 

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